こんにちわ。移民問題を考える~国内編~です。
今回は日系ブラジル人と彼らを抱える地域住民の摩擦を具体例を挙げながらいきたいと思います。
これは最近静岡であった事件です。
日系ブラジル人3世の工員の男性(30)が、静岡県袋井市内に新居用の土地を買おうとしたところ、地域住民がブラジル人の転入阻止を決めたため、静岡地方法務局袋井支局が阻止行為を「人権侵犯」にあたるとして、住民らにやめるよう「説示」していたことがわかった。 男性は「ブラジル人というだけで、マイホームの夢もかなわないのか」と肩を落とした。
関係者によると、男性は昨年4月、同県磐田市内の不動産会社を通じて袋井市長溝に一戸建て用の土地約200平方メートルの購入を予定していた。契約前に不動産会社が地元に「買うのはブラジル人」と伝えたところ、長溝自治会の7班(当時12世帯)の住民が反発。ブラジル人の転入阻止を決め、その旨を不動産会社に伝えたという。
7班に属する女性は「ブラジル人の事件が多く報道されていて、何か起きたら怖いというイメージがある」と話す。男性は結局、土地売買の仲介を受けられず、昨年5月、同法務局袋井支局に「人権侵害だ」と申し立てた。
同支局は人権侵犯の事実を確認、今月6日までに、同自治会7班と不動産会社社長に対し「説示」の措置をしたという。しかし、長溝自治会の会長は「できれば入ってきてほしくないというのが本音。今後、ブラジル人がここに土地を買うとなった場合、どうしらいいのか考えたい」と話す。
男性は「ブラジル人のイメージが悪いのはわかる。でも自分はまじめに働いていて、日本語も話せる。あいさつに行って自分を見てほしかったが、『来なくていい』と言われた」という。
男性は結局、同市内の別の場所に約160平方メートルの土地を購入して住宅を建設した。
http://www.asahi.com/national/update/0627/TKY200706270336.html
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>「ブラジル人のイメージが悪いのはわかる。でも自分はまじめに働いていて、日本語も話せる。あいさつに行って自分を見てほしかったが、『来なくていい』と言われた」これだけ見ると確かにちょっと可哀相な気がします。
外国人だからって理由で短絡的に拒絶するのはよくない。おまけに家が買える位の経済力があるのならそれなりにまじめな人柄なんでしょう・・
これは私も思ったことですが、もう少しこの事件の背景とこの地域が抱える問題を探ってみます。
追加記事
班に所属する男性は「不動産会社から4世帯のブラジル人が来ると言われた。 ブラジル人は悪い人ばかりでないが、いきなり4世帯では文化の違いもあり、自治会になじめるか心配だった」と当時の心境を話す。 |
この
4世帯で住むってのがキモです。
移民問題を考える その2 ~実例紹介~で紹介した
>イスラム教徒は、オランダ社会のリベラリズムに反感を持つばかりで、オランダ社会には融合せず自分達の集落を作った。しかしそこは白人のオランダ人が足を踏み入れられないくらい危険なところになっている。このような外国人(この場合日系ブラジル人)はその地域社会に溶け込まない。
地域社会と同化しようとせずに、同じ民族同士で固まって生活はする。
だから、いつまで経っても日本語を覚えない。そのうち全く言葉も覚えない連中や子供が出てくる。そんな彼らは日本社会に溶け込むことが出来なくなり、それらはいずれ外国人少年犯罪者予備軍となる。
例え転居してくるのがこの一家族だとしても、いつの間にか血縁関係のない親戚などが、なし崩し的に転居してくる。彼らは夜はバーベキューに花火、大音量の音楽を流す。ゴミ出しや分別が滅茶苦茶で、それを注意したら逆ギレ。車上荒しの犯人はブラジル人が大半といっても過言ではない。(参考
静岡県内における外国人犯罪の状況)
金持ちのブラジル人がブローカーになり、本国から、ブラジル人を呼び住まわせるってのは良くある手なんですね。
ちなみにブローカーを介すると
ほとんど日本人と交流が無くても生きていけます。(必要な手続きはブローカーがボッタクリ価格でするから)
これは友人の住む地域での話です。(日本に溶け込もうとする外国人とこうやって固まろうとする外国人の差って一体なんなんでしょうね・・)
そして地域住民のブラジル人排斥の最大理由と思われるものが、今までの記事でも書いた
ように犯罪人引き渡し条約がないことです。簡単に説明すると
この事件と同じ静岡では、平成11年7月にブラジル人が女子高生をひき逃げして母国へ帰国した事件がありました。ブラジルには自国民を外国へ引き渡すことが憲法で原則として禁じられているため引き渡しができずに代理処罰を要請した。(他にもブラジル人母子3人が殺害された事件なども外国人犯罪が多々ある)これらの排斥運動は彼らの習性を知っている地元民ならではの反応なんですね。
住民の心が狭いという意見もわからなくもないけど、
住民が安全な生活を優先するのは当然の事。
おまけに法務局も「法律上はそういう訳だから・・」と何かがあった場合には責任を取るわけでもない。 実質、国が移民として受け入れている状態なのに、受け入れる環境(法整備など)が十分でないことが問題を大きくしてるんですね。これらは個人や地方自治体レベルではどうにもならない。
このバランスをとるのが国であり行政なんだけど、今の拝金主義の日本にすぐに期待するのも難しいというのが現状なんですね。新たなルールを新設しないで、国民に自己責任などと言い実質、放置しているも同然。単純に現行法の運用のみに専念している。日本人の生活を守れないで、なにが行政なんだろうか。それでは日本人どころか外国人をも不幸にするというのに。
このような現状なんだから、
地域住民が自治で排斥運動をしても仕方無いと私は思いますよ。(当然、人権侵犯で裁判になったら100%負けるだろうけど)
このブラジル人も、もう少し受け入れてくれそうな場所を探せばよかったのにね。
そして
働いている会社の雇用主や今まで住んでいた住居の大家などに、今までの実績を証明してもらうなどの支援を頼むべきだった。そして
自治会はそれを断るべきではなかった。それなのに法務局なんかに頼んでも根本的な問題解決になる訳がない。
仮にそうやって手に入れた土地で、これからどうやって暮らしていくんだろう・・
え?地域住民と関わらないから関係ないって? 苦笑
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溶け込むという努力がないのか、溶け込もうとして拒絶された結果なのか、はたまた最初からその気がまったくないのか・・・
国民とか同胞、社会の構成員としての仲間・・・何が基準かはこれも国によって違うようです。日本は血統ですね。帰化して日本国籍持っていても受け入れられないようなことが多いのではないのかな。独がほとんど同じそうです。
仏では仏社会の構成員となる資質と意志を持っていることだそうです。その社会の構成員になる契約を結ぶ感覚だそうで、だからフランス語にこだわったりするのでしょうね。蘭は比較的何でも受け入れるのが常だったようです。商業中心の考え方なのかな・・・その他は聞いたことがないので知りませんが。
日本でも地域での構成員と認められるかよそ者として扱われるか、いろいろありますね。都会では最初から隣人に対して興味が薄いし、田舎では家のドアに鍵を掛けたことがないとか、止めてある車に鍵付けっぱなしとか見聞きしたこともあります。また京都ではこうだとかいろいろ聞きますね。川向こうとか部落とかいう表現もあるみたいだし、浜通りとか中通りとかいった区別も地域によってはあるようだし・・・人の帰属意識は千差万別なのかな・・・
でも、日本人は比較的世界に出ていったときには、郷に入っては郷に従え感覚が多いと思います。これは目の前の相手を思いやるという文化の賜物のような気がしますね。自分中心でないことが教養や文化の尺度になっていたということなんでしょうね。
それに引き替え、日本社会で見る外国人の自己中心的なこといったら・・・発展途上国ほど一山当ててやろうというどん欲差が出ているのかな、法治社会で教育を受けていないということなんでしょうかね・・・文化レベルが低いという気もしますね、別に差別しているわけではないのですがね。自分が借金するときの金利を意識するときに、算数しか習っていない者と数学や物理まで習った者とでは当然に意識が違うでしょうと言いたいだけなんですがね・・・
最後に、言いたいことは、来てもらう理由は何ですか?ですね。来てもらわなくても人口減少という縮小バランスという選択があるということです。来てもらって人数合わせしても弊害は必ずある。日本の中に他国を作って何か良いことがあるのか?です。現実の生活では人類皆兄弟ではありませんしね、世界人類が平和でありますようにって神様に祈る気もないしな・・・仲良く平和であるに越したことはないけれどね。人間の本能が無理だと言っているような気がします・・・